ピアノの思い出
虐待とは
繰り返しあるいは習慣的に、暴力をふるったり、冷酷・冷淡な接し方をすることである。
(wikipediaより。)
私は、小さい頃から虐待を受けていたという認識がなかったのですが、近年メディアでとりだたされるようになり、あー私は虐待を受けていたのかと5年ほど前に理解しました。
別に今更それをどうしようというつもりもありません。
ただ、気持ちを整理するのに文字にして書いてみようと思います。
私は、長女として生まれ、小さい頃はそろばんやピアノ、英語塾など様々な習い事をしていました。
それが普通だと思っていたし、大人になった今、やっていてよかったなと思うこともあります。
ただ、その中でもピアノをしていた時のトラウマがとても鮮明に脳内にあり、今思うと異常な光景だったなと…。
今回はその時のことを書いてみたいと思います。
私は幼稚園の頃からピアノに通っていて、恐らく母が通わせていたのですが、今思えば隣の家のお姉ちゃんの影響だったのだと思います。
私が通っていたピアノ教室は基礎から応用までしっかりマンツーマンで教えてくれるところでした。優しく明るい先生のことが好きでした。
冬にはクリスマス会がありとても楽しかったのを覚えています。
そこのピアノ教室には、年に1回発表会がありました。
幼稚園生から大人まで、ピアノからダンスまで様々な発表をする会です。
地元の大きなホールを貸し切って、いくつかの教室が出ていました。
300人はゆうに超えるお客さんが来るので、みんなとても張り切ります。
その発表会前は、家でも練習を毎日1時間していました。
でも、私はその練習がとても嫌でした。そばに母か父がぴったり張り付いて、1音でも間違えると怒られ叩かれ、抑揚がないとなじられ、才能がないんだから練習するようにと強制されていました。
分かります。失敗する娘を田舎の発表会で見せたくない、本人のためにも練習させたい。でも、1度も褒められることがないまま毎度本番です。
ましになったんじゃない?が一番良い言葉でした。
小学校中学年の頃、その練習が辛くてただピアノの前に立っていたことがありました。
早く練習しなさい!!と怒鳴られ、それでも立っていました。
恐らく逃避行動のようなもので、意識ここにあらずの状態でした。
その時、父が台所へ行き、まな板と包丁を持ってきました。
そして、机の上にあった布のおしぼりを「練習しないなら手はいらないな!こうやって手を切ってやる!!」と丸くしたおしぼりを力で押し切り輪切り。
私は号泣していたと思います。そして、恐怖で動けなくなっている父のもとへ引っ張られていき、まな板の上に私の手を置かれました。
「ピアノの練習やらないんだな!!!手はいらないんだな!!」
包丁でトントンおどされ、大号泣の私。
それをただ真正面で見てる母。何も聞こえないよう耳を塞ぎ泣く弟。
これが私のピアノの家での思い出です。思い出というかトラウマですね。
結局小学校を卒業するまでは続けましたが、中学に上がる際、部活を理由に辞めました。
それから数年は、包丁を父が握る度、身体が硬直したのを今でも鮮明に覚えています。
あー、ひどい父と母だったな。と今は思いますが、子どもの頃は逆らったら殺されるか、痛い思いをする。それだけが染みついていました。
きっと他のご家庭はこんな思い出ではないんだろうと思います。
いいなぁー
もし、自分の子供がピアノを習いたいと言ったら、のびのびと音を楽しんで欲しいなぁ。